お前は日本から来たスパイに違いないと言われた話

研究
調査の一コマ

 研究に協力してくれる農家さんを探すのは結構大変だ。協力的なバランガイ(日本でいう村みたいなもの)では集会所に行けば農家さんを紹介してくれたりするのだが、そうでない場合は一軒一軒家を回って農家を探す。農家さんをやっと見つけても調査を断られることがほとんどだ。今日は、何軒かの農家さんに「お前は日本から来た山下トレジャーを狙うスパイに違いないからもうここには来るな」と言われた。スパイ?山下トレジャー?と言われたときは意味を理解できず、最近フィリピンで話題の中国人スパイが市長をやっていた事件の影響で見知らぬ外国人に敏感になっているだけかと思っていた。しかし山下トレジャーについて調べてみると、太平洋戦争からフィリピン人の間で語り継がれている伝説であり、それのせいで日本人に不信感を持つフィリピン人が一定数いることがわかった。フィリピン人はフレンドリーだと言われている割には調査依頼をするのが大変だと感じていたが、今回その理由が少しわかった気がする。

山下トレジャーとは

 皆さんは、山下奉文という名前を聞いたことはあるだろうか。彼は太平洋戦争での陸軍大将であり東南アジア攻略で功績を上げた人物である。私は彼のことを歴史の授業で習った覚えはないが、フィリピンでは太平洋戦争の主要人物として必ず習うようだ。彼は最期マニラ軍事裁判で死刑となりロスバニョスで処刑された。そして、山下トレジャーとは山下将軍率いる日本軍によってフィリピンに埋められたとされる莫大な埋蔵金のことを指す。フィリピン社会において山下トレジャーの伝説は驚くほど浸透しており、日本人がフィリピンに行くと謎の地図や石板の解読を現地人から求められることもあるようだ(1)。また、マルコス首相(お父さんの方)が山下トレジャーから莫大な資産を形成したことを認める発言をしたことや、戦後アメリカの民間人とフィリピン政府が協力して山下トレジャーの発掘プロジェクトを進めたことも伝説の信憑性を高める一因となっている。梶原氏は、フィリピン社会の中でいまだに山下トレジャーが信じられている理由についてフィリピン人の国民性、社会構造などから検討している(2)。とても興味深い内容で、山下トレジャーに代表される財宝譚がフィリピンの農村のような社会が持つ「限定された富」という世界観を維持するために役に立つなどの主張は、実際に住んでいても実感することがあり納得感があった。

参考文献
1:師田史子 (2018). 「山下財宝に取り憑かれる人々」. アジア・アフリカ地域研究 第 18-1 号
2:梶原景昭 (1995).「『山下財宝』の行方」. 『年報人間科学』16号

異国で調査を行う難しさは言語だけではない

 実際にフィリピンで調査活動を始めるまで、調査で課題となってくるのは言語や生活環境だろうと思っていた。しかし、実際に初めてみると言語や食文化などの目にみえる違いは些細な問題であることに気付かされる。これらの問題はこちらが適応すれば解決できるからだ。一方で、相手の国(国民)が日本に対して持っている印象や評価は把握することすら難しいが、調査活動を遂行する上でとても重要である。今回のように、こうした印象や評価が「山下トレジャー」というほとんどの日本人にとって馴染みのない話であることもある。ネットなどではフィリピン人は日本人に対してとてもフレンドリーだという記事を見かける。確かに観光旅行で2~3日滞在する分には、日本人なら少しお金をたくさん払ってくれるだろうという期待も込めてフレンドリーに接してくれる。しかし調査で彼らと同じ場所に1年住むとなると必ずしもそういうわけではない。「これまで外国人など一切来なかった農村に突然日本人が住み始める」そんな非日常的なエピソードは山下トレジャーのような荒唐無稽なようにも思える伝説と繋がり、日本人のスパイだという噂として広がってしまう。実際、大家さんに山下トレジャーの話を聞いてみると私の住んでいる近くでもそのような噂をしている人はいるらしい。こうした噂は一朝一夕でなくなるものでもないと思うので、村民と積極的に関わっていく中で誤解を解いていきたい。

 

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